木想研(もくそうけん)とは、住宅の設計・監理を主要業務としている設計事務所数社とともに、自然素材の家づくりを研究している団体です。
納得できる家づくりの形
もく そう けん
●『欲張り住宅』は、岐阜県白川町(東濃ひのきの産地)の木材にこだわります。白川大工の匠の技を用いた「設計事務所との家づくり」を提唱しています
〜前章〜
あれは2年半程前の秋頃、中日新聞のあるページを見ていた時だっただろうか。「木想研」と言う団体が「失敗しない家づくり」と銘打って参加者を募集していた。このセミナーに参加しようと直感的に感じ、電話を手にとっていた。
その当時住んでいた賃貸マンションが4歳と1歳の娘二人を含めた家族4人では手狭となりつつあり、そろそろ次を検討中であった。検討中ではあったが、次は賃貸ではなく、マンションでもなく「一軒家」という選択肢しか我々夫婦の頭には無かった。又、家に対する個人的な設計図は既に出来上がっており、その個人的設計図を具現化してくれる「相手」と巡り合う事と、その個人的設計図への妻の了解を得ることだけが最大の難関として残されていた。
「アレルギー対策」と「子供中心」が家造りに於ける最も大きなキーワードであった。持病として持っているアレルギーにいかに優しい家造りを行うか、そして娘達にとっていかに遊び心があり楽しめる家造りが出来るか、が大きなテーマであった。その中心には木で造られた家があり、しかもその素材である木材も海外の輸入木材では無く、純日本製のしかもこの住んでいる愛知県の気候風土に一番合う木材、安い合板を使わず、化学薬品の薬剤を使った建材を使わず、全て自然素材で造られた家、が究極的な理想像であった。
木想研による「失敗しない家造り」のセミナーへ参加した事を契機として、一気に家造りへの具現化が進んで行くこととなる。特に、「地盤への対応」「地震への対応」「五寸柱」「土壁」は私の背中を大きく押してくれたキーワードとなった。木想研と言う聞きなれない団体を通して家造りの具現化を進められた大きな一因は、何よりも信頼できる代表者である小川さんや堅実で実直な寺島さん(建築士)との出会いがあったからに他ならない。仕事でもプライベートでも同様であるが、やはり何かをお願いする時に最後の決め手となるのは「相手への信頼感」であろう。そういう意味では、本当に良い出会いが出来て良い信頼感を持つことが出来た。
〜第一章〜(設計図面の完成まで)
コンセプトは「光と風と景の家」に決まった。目の前が公園で裏がお寺と立地条件も素晴らしく、閑静な住宅街で、子供を育てる環境としては申し分ないので、コンセプトは自然に決まった。寺島さんとの打合せ期間は平成20年10月上旬から平成21年11月上旬までの1年1カ月もの期間を要した。平均すると毎週一回は寺島さんの事務所で打合せを行った。家造りは「一生物」との気概いでどんな小さな事でも積極的に関わっていった。今から思うのは、理想の家造りを行うには、それ相応の気概いと情熱と積極性が求められるという事である。私は家造りのビジョンが明確であった為、後はそのビジョンに近づける為の一つ一つのミッションを実行さえすれば良かったのだが、そのビジョンがはっきりしなければどんな家造りをしたいのか分からない為に住宅ハウスメーカーや工務店などのお任せになっていただろう。いや、そのような人は最初から住宅ハウスメーカーや工務店に全てお任せにしているだろう。それ位、理想の住宅を造るという事には「力」がいる事なのである。
設計図は最終的に25回近く修正されて完成した。寺島さんとの打合せが終わると、家に帰って定規で図面を引き直したり、妻との話題もいかに予算内で理想の家造りを行うかが一番多かった様に思う。五寸柱を実際に岐阜県白川町のプレカット工場まで見学に行ったり、東濃ひのきで造られた宿泊施設に泊まったり、木想研が主宰する白川町の森林で木を切るイベントに参加したり、と家造りに役立つ事は全てやった。インターネットや本や雑誌で家造りに関する情報収集を行い、自己研鑽に励んだ。
同時に重要な事として、資金面のシミュレーション管理が大切になってくる。銀行からの融資が当然必要になってくる訳だが、自分自身への勉強も含めて二十数行の銀行と話し合いを行った。その銀行の持っている住宅融資サービスにはどの様なものがあるのか?金利は?固定金利か変動金利か?銀行の融資担当者と話す事で現実の姿を炙り出してもらえたのは、理想を実現する上でも特に重要な事であった。金利差1%で最終的な総支払額に何百万円の差が出てくることに気付いている人がどれ程いるか。知っているのと知らないでいるのとでは、天と地の差があると感じた瞬間だった。
〜第二章〜(着工から竣工まで)
平成21年11月7日に地鎮祭をとり行った。工事請負契約を済ませ地鎮祭を行った時は不思議な気分だった。これ程大きな契約を個人でする事は一生に一度あるかないかの事だし、何だか自分事でありながらそう思えない自分が居た事も覚えている。着工してからは、雨の日を除いては毎日の様に朝工事中の家に見学に行った。毎日少しずつ少しずつ完成していくのを見る事で「自分の家」になっていく過程を記憶しておきたかったのかもしれない。
着工から竣工まで約5カ月半。その間上棟式も滞りなく行われたが、一連の家造りの行事がいかに日本の伝統様式と結び付いているかを実感した。これも日本人の先人達が残してくれた素晴らしい財産と思えればこそ、その一つ一つ意味のある行事をとり行えたのには感謝する以外何物もなかった。
平成22年4月28日に引き渡し日、引っ越し日が決まった。実際に引き渡しを受けた時は感動で涙が出そうだった。施主は自分自身ではあるが、周りで家造りの為に動いてくれた方々のご苦労を思うと感謝せずにはいられなかった。その感謝の意味も込めて、家造りに携わって頂いた方々を招いて「夕食会」を行った。お酒や食事を取りながらその顔を見て、「この人達に自分の理想の家造りをお願いして本当に良かった」と思った瞬間だった。
〜末章〜
私の家には一階のリビングと二階の子供部屋にそれぞれブランコがある。二階の子供部屋には登り棒も二カ所付いている。アウトリビングにもある。家中にも木と遊べる仕掛けがいっぱいある。ブランコのある家…これは夢であった。自分の子供達が、ブランコに乗って笑顔でこいでいる情景が理想であった。ブランコのある家はそうは無いだろう、登り棒のある家もそうは無いだろう。それを実現したかった。木のぬくもりの中で包まれて暮らす事が、家にあるブランコで遊ぶ事が、家にある登り棒で歓声を上げながら走り回る子供達を見る事がどれ程幸せな事か。子供達の情操教育にも大きな役割を果たしてくれるであろうこの家には、これからも期待する事、大である。
周囲の家や友達の間では、ブランコある木の家、として既に認知されている。娘の友達が一緒にこの家で遊ぶ姿を見るのが、次の楽しみになっている。一期一会という言葉は一番好きな言葉の一つである。出会いを大切に出来ない人は良い出会いにも恵まれない、と個人解釈をしているが、幸運にも一期一会を生かす事が出来て私の「理想の家造り」は、大成功に終わった。これからは、この大切な家をもっともっと活かして育んでいきたいと思う。
終わり N